2006年01月04日

San Antonio de Lomeiro村の年越し

私がこの年越しで滞在していた村の年越しの様子。

年越しに向けて3日ほど前から、チチャ(トウモロコシの発酵酒)
を各家で作り始めていた。大きなカメで二日ぐらいぐつぐつやってから、発酵させる。(写真のカメ)
置けば置くほど、発酵してアルコール度が増すけれど、たいして強くはない。
chicha_gama.jpg

31日は午後からは、豚の仕込み。
庭で飼われていたおばあさん豚が生贄に。
豚を釜で焼き、それがメインとなり、チチャをがぶがぶ飲みながら、
(子どもも)、家族、親戚一同が集まり、夕飯が豪勢に振舞われる。

私がこの31日に招待された家は、市長(村長?)の家で、
28人の家族が集まった。おばあさんから曾孫まで。

ちなみにこの家族、「日本人に似ていますね。」と言ったら、
「私たち日系です!」と。父親の世代で3世か4世ぐらいだそうだ。
スマミという私には馴染みのない日本の苗字。

その夕飯後、あるものはミサに行く。
そして11時半過ぎから、村の中心の広場、教会の前で、
「VIVA SAN ANTONIO DE ROMEIRO! VIVA BOLIVIA!(サン・アントニオ・ロメイロ万歳!ボリビア 万歳!」などを叫び合う、集会??演説??が始まり、12時を迎えたその時から、村の老人を中心とした音楽隊が音楽を奏で、その周りをみんなが手をつないで輪になって踊る。

人々はそこにいる人全てに「明けましておめでとう。いい年になりますように。」
と言って抱き合って、ほっぺにチュ!をして挨拶をして回っていた。

私のような外国人にも多くの人が、あたりまえに挨拶をしてくれた。老人もごく自然に、普通に挨拶してくれる。

輪になって踊るこの踊りは、決して難しいものではなく、私も一緒に踊って楽しめた。
みんなが一つになるように。という願いが込められた踊りだそうだ。

おばちゃん、おばあちゃんも元気に踊っていた。おばちゃん、おばあちゃんになるにつれて、この地域の民族衣装ティポイを着ている人が多かった。

tipoy1s.jpg
いつもは10時で消灯のこの村も、この日は1時半まで灯りがともった。
1時ぐらいには、それぞれ各自の家に行き、親族単位で、朝まで、チチャを飲みながら踊る。笛に太鼓に、、、。この地域発祥の踊り以外にも、サルサのような踊りもここでは踊られていた。若者もいるからかな?
とってもにぎやかで、夜明けごろには、大半の人がよっぱらい。さらに踊り、飲み続ける。
そんな中子ども達は、すやすや眠っていた。

私は1日の朝のバスでこの村を出発したけれど、、1日も二日酔いながら、まだチチャを飲み、ゆっくりしているのだろうと思う。


posted by PUENTE at 03:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ボリビアの生活・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ナチュラルシードアクセサリー生産者と

12月27日から、サンタクルスからバスで10時間ほど離れた村、San Antonio de Lomeiroにいた。
そこの生産者とのナチュラルシードアクセサリーのデザインをして、あと買い付けの打ち合わせに。
syugo1s.jpg
sagyo_fukei1s.jpg
当初29日にはサンタクルスに帰ってくるはずが、予想外に時間がかかったのと、
価格のつけ方、計算、契約書の作成等、本来ならば彼らがやるべき事なども、私も参加しなければいけない流れになり、
「まだ残れ、、」「年もここで越しなよ。」という勧めが現実になったのだった。

この村は、中心部の人口が1313人ほどの、のどかな村。
ドイツの援助で建物がここ20年の間にほぼ全面的に同じデザインの家で建替えられたため、
村の景観が統一されていて美しい。カトリックの宣教が色濃く残っている。

日中は、役所だけ電気があり、夜は10時まで各家にも電気が来る。
私はここでは、0時には寝て、朝6時には起きるという規則正しい生活をしていた。

人々は、ゆったりとした生活を送っているように見える。
私が時に感じる、何かに追われているような感覚はあまりなさそうに見える。
アンデス高地と違って、家畜はえさに困らないので、年中、大きな土地の柵の中に放っておけばいいし、食物もよく育つ。(乾季の水不足はあるけど)

村の光景としては、緑あふれる自然の中にきれいな家が並び、
人々が家の前に座って、家族や近所の人とお話をしている。
ハンモックでお昼寝をしている。ロバや馬が広場にいたり。。という感じ。

家の中も、結構モノが揃っていて、テレビのある家がけっこうあった。子ども達は高校までこの村にいられる。
その後、大学に行く子供もいるようで、年末はサンタクルスから若者たちが帰ってきていた。
日本の田舎に似た感覚だ。

ティポイという民族衣装は、おばあさんの代までは
日常着として着ているが、それより若い世代は、特別な時にしか着ないよう。
でも、現在彼らの文化を失わないようにと、学校の制服はティポイだそうだ。
ここの現地語も、今の若い子ども達は聞き取れるが話すことは難しいとのこと。
学校で現地語を教えるカリキュラムにはなっている。

たった数日の滞在で、少しのことしか見えないけれど、
ラパスの都心に住む、経済的に貧しい人々の生活よりも、
環境的に豊かに見えた。

問題は、乾季に水不足が深刻なこと。都市までの道が未舗装で、雨季の交通が難しいこと。
(実際私が帰るときは道がわるく、いたるところでストップして道を整備して通過して、
バスは故障して、、いつもより4時間以上多くかかった)
などであると、市長が教えてくれた。

この土地の生産者のアクセサリーは、価格が大変高く、面食らってしまう。
それを正直に話し、今回は、デザインを小ぶりにすることでコスト削減をした。
もともとの彼らのデザインは、日本人があまり着ないような、
胸の大きく開いた服に合うサイズなので、日本人用に小ぶりにした。

そもそもどうやって価格を付けたのか?そこから話をはじめたところ、
かなり適当だった。

わずかではあっても、サンタクルスで出稼ぎをすることもあったり、
この村からサンタクルスに出て行く家族もいる中で、
ボリビアの賃金の相場は知っていそうなのに、
アクセサリーの制作の手間を検討し直すと、
都市の賃金の2倍〜3倍になった。

そこで、私は悩んでしまう。ラパスの都市周辺に暮らす、編物の生産者の
賃金の低さと、この村のアクセサリーの価格の大きな差に。。。
編物生産者は編み手がいっぱいいるために、価格が下がってきているのだろうけど、
彼らの賃金が低すぎるのだろうか?
でも、このアクセサリーの価格が高すぎることは、作業時間などを
横で見ていても感じる。

彼らも、私の言っていることに納得したみたいで、
もう一度、一つ一つの材料のコスト(森から種を取って、洗って、磨いて、穴を開けるまで)、アクセサリーを作る作業時間を割り出し、それに、都市の賃金よりも自分達で村に住んでいる分を考えて、安い賃金を設定して掛けて、材料費+手間賃を出した。
価格の内訳は、
材料費+手間賃で40%、グループ積立金15%、利益15%、
年金15%、健康保険10%(まだ掛けていないけど、、)消耗する機材費5%。

このグループ、まだ経理担当がいないなかで、ちゃんと年金、健康保険代が蓄えられるのだろうか、疑問。

結局、サイズをかなり小さくしたことで、価格を下げられたものが多かった。
中には、もとの価格より高くなるものもあった。

日本では、これらのアクセサリー。どう受け取られるのかな?
売れるといいなー。

写真は私のデザインでお気に入りものもの。
acce_seeds.jpg

そうそう、ディーゼルエンジンで発電していた夜に、電圧安定器を通さずに充電していたりしたら、ついにパソコンが動かなくなってしまった。
でもこの村にいたら、中にあるデータの喪失を考えれば泣きたいぐらいだろうに、不思議とあきらめの境地、どうにかなるかな?の境地にいたのは不思議だった。

サンタクルスに帰ってきて、バッテリーが湿気でやられていたのか??一度バッテリーをはずしたら起動してくれて、ほっとした。
バックアップはこまめにとろう!
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