この日は、ララケリ村のちょっと先、Soquesani(ソケサニ)村に奉られている聖ヨハネのお祭りがあった。
この年は、ARTE AYMARAの一グループであるCatumiの代表者であるPrudenciaさんがこの祭りの主催者(祭りの費用の負担者)になっているので(村の中で順番に巡ってくる)、ARTE AYMARAの各グループの代表11名と私も参加することに。旦那さんも来ていたメンバーが4組ぐらいいたかな?
前夜泊まらせてくれたMargaritaさんが、私に彼女達の服を着させてくれる。かなりスカートが重たいのと、外国人がこの服を着るとかなり目立つので、目的地の近くララケリ村に行ってから着替えた。髪はもちろん三つ編みで。
学校の敷地内にある小さな教会からヨハネ像が神輿に担がれて出てきて、校庭の4角に建てられた祭壇のようなものを回って、また教会に戻る。
Prudenciaと旦那さんとその家族は、「主催者です。」というたすきをつけてヨハネ像に続いて歩いている。その次にその他親戚や村の人たち、友人が続き、後ろからバンドが演奏をする。
その儀式が終わると、パーティー。ビールをケースで売る人たちがスタンバイしていて、そこからみんながケース買いして、主催者たちにプレゼント。主催者側は誰が何ケースプレゼントしたかちゃんとノートにとっている。
私も、カルロスというARTE AYMARAにプロジェクト支援をしている政府の人と一緒にプレゼント。プレゼントすると勲章のようなものをつけてくれる。
仕舞いにはビールケースが高く詰まれることになるので、それをまた売ってお金にすることもできる。
(ちなみに600ドルぐらい祭りにPrudenciaさんは費やすらしい。これはかなりの出費となる。)
みんな、バンドの生演奏の中、踊る踊る。
そしてビールを飲む飲む。
私はちなみにビールが飲めないので、前もってピスコ(ブドウの蒸留酒)とサイダーとワインを買っておき、それを飲んだ。
ペルーのプーノあたりでのお酒の飲み方:::(ボリビアのチチャを飲む時もこんな感じ)
ARTE AYMARAのメンバーの間でお酒を回しあう。コップは二つぐらいしかない中で、どう飲むかというと、自分でコップについで、一足先にビール瓶は次の人へまわす。
パチャママ(大地の神様)にちょっとあげてから(地面にちょっとたらす)一機に飲んで、コップも次の人に渡す。これはつまり必ず回ってきたら飲まなければいけない。
日本で言う強制的な飲みになる。でも私にビールが回ってきても、笑顔でそのまま通過させ、私は用意したお酒を飲む
中には歌を歌いだす人も。みんなが酔っているところを見るのは面白い。
ここはもう標高4000M以上。その土地で激しく踊ると日本人は酸欠になる。でもここではおばあちゃんまで元気に踊っている。二人で踊ったり、輪になって踊ったり。
ここではワイノという音楽が主流らしい。動きはそこまで激しくなく、ステップも単調な感じがある。
私が好きなディアブラーダとティンクがもう一つのバンドの方で聞こえてきたので、思わずそっちに行って踊っていたら、ついに酸欠で苦しくなった。ティンクもディアブラーダもとても激しい踊り。
(青いスカートで丁度後ろを向いてしまっているのが私です)
食事(アルパカの肉)も振舞われた後、
夕方に次の主催者が発表され、その後も踊って、飲んでを繰り返し、夜中まで続いたのだった。私たちは陽がくれた後、雨も降ってきたので、その日泊めてくれるベルタさんたちと帰ることに。
帰りのタクシーもみんな歌う歌う。ベルタの旦那さんは酔っ払って、運転手(親戚の甥)にまで酒を勧めるので、私は必死になって止める。
女性陣は歌を歌って、そんなよっぱらい旦那さんに抗戦していた。ダメ男を嘆く歌で。ペルタも思いっきり、「ダメ男」部分を強調して歌っていた。旦那さんはかなり居心地が悪い。
次の日、私は幸い二日酔いにはならなかったが、泊めて貰った家のベルタと旦那さんは二日酔いでつらそうだった。
私のデジカメで撮った写真をみんなで見ていた時、ベルタが一言。
「○○さんの旦那の浮気相手がいたの。この女よ。私たちとっつかまえて、ぼこぼこにしてやろうと思ってたんだけど、それに気付いて、遠くに逃げて行ったのよ。だから○○さんはあんなに酔っちゃって。逆に○○さんが夜にその女の家族に囲まれなかったか心配だわ。」
え?あなたたちはそういうことをしようとしていたんですか??
取っ組み合いにならなくてよかった。。。