びっくりするぐらい長いです。お暇なときにお読み下さい。
ボリビアのセントロ・エル・カルメンという女性グループの代表であり、現在、私がボリビアにいない間に、他のつくり手との仕事の調整もしてくれている、頼れるパートナー、フスティーナさん。
(私が日本にいる時に、コミュニケーションができるようにと、ボリビアのPUENTEオフィスで、パソコンの操作を特訓した日々。キータッチのソフトをやっているところ。今では、チャットができ、サンプル写真を撮って、送ったりもできます。)
今回、彼女にアースガーデン夏の報告をしました。
ブースの様子や予約をしてくれた人の写真も送って。
ディスプレイが気に入ったようで、喜んでいました。
彼女から「蒸し暑い夏に、アースガーデン夏のプエンテブースに来てくれた人や予約してくれた人に何か一言!」とお願いしたら、下記のようなお返事がきました。
En primer lugar gracias por aceptar nuestros productos que estan elaborados a mano.
Con la compra de nuestros productos nos ayudan a sostener nuestros hogares.
Departe de las compañeras de Bolivia y Peru esperamos satisfacer sus expectativas
agradecemos su gentil colaboracion
!GRACIAS!
JUSTINA
つたないスペイン語力で訳してみます。
「まず始めに、手で作り上げた私達の製品を受け入れていただきありがとうございます。
私達の商品を買ってくれることで、私達の家(生活)を支える助けになっています。
ボリビアとペルーの仲間と共に、皆様の期待に応えられることを願っています。
寛大なご協力に感謝します。
ありがとうございます!
フスティーナより」
彼女の文章をそのまま載せましたが、私としてはこのコメントに気になる部分があります。
「ayuda」(助け)という言葉を使っているところです。
彼女達は長い間、スペインの援助を受けて運営されている公民館のようなところにいるため、「助けてもらう」ことが日常になっているのだと思います。そしてスペインの援助をもらっている人達にこのようなお礼を言っているのでしょう。
日本の人達は、彼女達が作ったものの、デザインと質、手づくりのあたたかみに惹かれて買っている。フスティーナたちは、自分たちの手仕事が評価され、対価を受け取る。
こんな関係を私は目指しています。
この関係になれば、使う方も作る方も同じ立場にいると思うのに、彼女にはまだ、援助をしてもらっているという意識がある。
私は、日々、「援助って何だろう。」と考えています。
フスティーナとも一緒に話しています。
「援助されることに慣れちゃいけないよね。」
「本当は何でも自分たちでできるのに、援助されちゃうと、そのぬるま湯につかって、自分たちでできたこともできなくなっちゃう。」
「期限をつけて、最初だけ、後押しをしてくれるようなNGOの関わりはいいと思うけど、そこから自分たちだけでできるようにならないといけないよね。その気持ちをみんなが失ってしまったら危険だよね。」
「援助する方も、それが自分たちの仕事だから、援助する相手がいなくなると、自分たちの仕事がなくなる。そうするといつまでも、援助が必要な状態にさせておきたくなる。という人もいる。」
というようなことを私は、こうサブリミナル効果を期待して言っているんです。
ボリビアのこのNGOの場合は、
NGOが仕事を取ってくる、NGOがお金のやりとりをしてくれる。NGOが場所を貸してくれる。
これって、普通の企業が、お金をかけて、人を雇って、賃貸料を払っている部分を、NGOが関わることで、人件費、場所代ともに、援助金でまかなわれていることになります。
つまり、一般の援助なしでやっている会社からすれば、かなり優遇されているわけです。
私はこれはおかしいと思っています。
(他のNGOや他国のNGOがどのような活動をしているのかは、わかりませんので、これはこの私が知っているNGOに限って言っています。)
彼女自体も、まとめ役として見ていると、一人一人のメンバーに、責任感がなく、すべてNGO頼りになってしまっていて、この状況はよくないと認識しています。
だから、NGOからいつか独立しなければ、とは思っている。
そこの思いが私達は共通しているので、
私は、いつか自分たちの小さな会社を作る。という条件で、お付き合いしています。
今、私との仕事は、NGOから集まる場所は借りていますが、それ以外は、NGOの許可を取り、フスティーナが代表として直接私と契約して、打ち合わせをして、仕事をしています。
(ミトンになる手袋の細部の改良を打ち合わせ中のフスティーナ(左)とプルデンシア(右))
でも、そのNGOからの独立はなかなか進みません。
やっぱり、誰かが、自分たちの代わりにやってくれるという状況は、楽なんだと思います。また自分たちで何でもやるということに、将来の不安も感じるのかもしれません。
私から彼女達に注文する量だけでは、まだまだ小さな会社であっても一年中仕事があるような量ではないので、彼女達は他でも仕事を見つけなければいけません。
それでも、今の私との関係の中で、いつか全てNGOから独立した時のための準備ができればと思っています。
スペインの援助はいつまであるのでしょう。
誰もわかりません。なんだか、日本である公民館のような建物の運営がスペインからの援助なんです。これって、ボリビア政府も援助だのみということ。
この公民館のような建物では、内科、小児科、歯科の先生が巡回し、働く女性のための保育園のような機能があり、学童保育のような機能があり、女性が技術をつけて仕事ができるようにというプログラムが組まれ、保健衛生などの授業がある。という形で機能しています。
10年以上?もっと前からずっとある。だからこれからもあるのだろうと、皆は思っているんです。
そのNGOのスタッフはボリビア人です。そのボリビア人からすれば、自国に援助する人がいなければ、スペインからの援助額が減り、自分たちの仕事がなくなるわけで、独立をすすめる。という部分で矛盾が出てきます。
(この点、外国のNGOがボリビアでやる場合は、5年なりの期限を切って、その後は撤退するので、最終的に自分たちがいなくなった後のことまで考えてプログラムを組んでいるように思います。)
場所を提供し、技術向上のプログラムは組む、NGO経由で仕事もとってくる(ただし、これは仕事を取れば取るほど彼女達のお給料が上がるわけではないので、さらに仕事を!という欲にも限界があり、仕事に対する責任もまたありません。)、材料も買ってきてあげるし、お金の管理もしてあげる。でも、起業するためのプログラムはないんです。
理由を聞くと、つくり手の人達はまだまだそんな状況にはない。とのこと。
そうでしょうか?同じように小学校の低学年までしか学校に行っていなくても、同じ編物で、家族で小さくても、独立して仕事をしている人達はいっぱいいます。
それって、環境の違いだと思うんです。何もなければ自分たちでやるしかない。
どうも、NGOのボリビア人のトップとはいくら話をしても、平行線。彼女からすれば、NGOが抱えている女性たちはいつまでたっても援助してあげなければいけない人達のように思えてなりません。
援助があることで、いろいろなことが難しく複雑になっている。
こんなことを、よくフスティーナに話しているんです。
私の思いが、いつか伝わって、
フスティーナが「助けてくれてありがとう」と言わなくなる日がくるといいなと思います。
(まとまらない文章ですみません。)