2011年08月21日

刺繍で表現された村の生活

mollo_illampu.jpg
(雪で頂が白いイリャンプ山。これがタリスキア村ケースに表現されている雪山です。
イリャンプ山から朝陽が昇ることはあるのか??と聞きましたが、それはないそうです。
刺繍ではイリャンプ山の間から太陽が昇っているのですが、、、)

今回の滞在で、
タリスキア村ケースのつくり手の村の生活をたったの二日だけ垣間見させてもらいました。

限られた時間で見たこと、聞いたことが、正しい情報という確信はありませんが、、
今の私が知りえたことをお伝えしたいと思います。




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2011年08月19日

つくり手に日本での販売の様子を伝える

milando_foto_tarisquia.jpg
(タリスキア村にて。日本の卸先での販売の様子を写真で見てもらっているところ)

今回のタリスキア村ケースのつくり手訪問の大きな目的は、
彼女たちの暮らしを見させてもらうこと、
つくり手の人たちとの直接のコミュニケーションをとること、
そして、日本でどうやって販売しているのか、販売してくれているお店のことを伝えることでした。
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2011年08月17日

タリスキア村ケースのつくり手を訪ねて2 衣服

arregulando_mollo.jpg
(ケースの刺繍の直しをしています)

Mollo(モリョ村)についた私たちを迎えてくれた、セントロモリョのつくり手の方たちは、
本当に刺繍の通りの衣服を着ていました。
客が来たからというのではなく、普段着なのです。

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2011年08月15日

タリスキア村ケースのつくり手を訪ねて1

yamagosi_mura.jpg
(谷をはさんで向こう側に見える村々がタリスキア村をはじめとするつくり手たちが住む村です。)

ボリビア&ペルー出張中の落合は、毎日ちゃんとご飯を食べ、出来上がってきてるのか、全然足りないのか(ものによってはピンチ!)、、全容がまだつかめないまま、こちらのまとめ役のフスティーナ、そしてスーパースケットSさんと共に作品のチェックをしながら、元気にしています。

久しぶりにパソコンに向き合い、タリスキア村ケースを訪ねた8月はじめのことをご報告したいと思います。

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2011年02月16日

El Alto レオナルダのグループ

casa_leonarda3.jpg
(レオナルダ家近くの町並み)

2月16日はエルアルトにあるレオナルダさんがまとめるグループへフスティーナと打ち合わせに行きました。

レオナルダさんは今まで、ラパス市内の側面、リオヘタ地区に住んでいて、そこでセントロエルカルメンに通って、PUENTEのニットを編んでくれていたけれど、この度、めでたく家を買って引越しし、彼女の家の近くで新しく編物グループを作ったのです。

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2010年07月14日

フストさんの工房を訪ねて

justo_illimani.jpg
(ボリビア、ラパス県、エルアルトのフストさんの住む町から見たイリマニ山(6439M)
私はこの山を見るのが大好きです。)

6月13日は午後2時半、7カラーショールのつくり手フストさんの自宅兼工房アルパキータ アンディーナにお邪魔しました。
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2010年07月13日

7カラーショールのつくり手

justo_justina.jpg

2010年7月12日は、アルパキータ アンディーナという名前のつくり手グループに頼んでいる7カラーショールの納品日でした。

朝10時に私がボリビアのラパスで拠点にしているところへきてもらう約束ですが、実際は11時すぎに登場。ご自宅兼工房からここまで渋滞などしていると1時間半ほどかかるので、、、まあ仕方ありません。

写真は右がフストさん。左が奥さんのフスティーナさんです。続きを読む

2010年02月25日

ボリビア、ラパスでのある日

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2月19日のことを。

午前中、まだ決められない毛布をリメイクして作るバッグのことをあれこれと考えた後、
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2009年08月09日

タリスキア村ケースをチェック中

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ボリビアに入った8月7日(金)と8月8日(土)ラパスでタリスキア村商品のチェックをしていた。二日間で合計5時間(思ったよりチェックにかかった、、、)

この商品をチェックするのは実に楽しい作業。

一つ一つ、つくり手たちが描いた刺繍にご対面できるから。
今回も新しい刺繍が増えていてそれがツボにはまる。続きを読む

2009年03月18日

ラパスでのサンプル制作風景

grupo_justina200902.jpg
ラパスでは、
MANOシリーズを3つの団体に作ってもらっています。


ラパスのすり鉢上の側面の地域に住む セントロエルカルメンに所属する女性たちは、
私の右腕フスティーナさんがまとめるグループです。


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2008年07月10日

ボリビアのまとめ役フスティーナさんからの手紙

びっくりするぐらい長いです。お暇なときにお読み下さい。

justina quispess.jpg

ボリビアのセントロ・エル・カルメンという女性グループの代表であり、現在、私がボリビアにいない間に、他のつくり手との仕事の調整もしてくれている、頼れるパートナー、フスティーナさん。

justina_pcs.jpg

(私が日本にいる時に、コミュニケーションができるようにと、ボリビアのPUENTEオフィスで、パソコンの操作を特訓した日々。キータッチのソフトをやっているところ。今では、チャットができ、サンプル写真を撮って、送ったりもできます。)

今回、彼女にアースガーデン夏の報告をしました。
ブースの様子や予約をしてくれた人の写真も送って。
ディスプレイが気に入ったようで、喜んでいました。

彼女から「蒸し暑い夏に、アースガーデン夏のプエンテブースに来てくれた人や予約してくれた人に何か一言!」とお願いしたら、下記のようなお返事がきました。


En primer lugar gracias por aceptar nuestros productos que estan elaborados a mano.
Con la compra de nuestros productos nos ayudan a sostener nuestros hogares.
Departe de las compañeras de Bolivia y Peru esperamos satisfacer sus expectativas
agradecemos su gentil colaboracion

!GRACIAS!
JUSTINA



つたないスペイン語力で訳してみます。


「まず始めに、手で作り上げた私達の製品を受け入れていただきありがとうございます。
私達の商品を買ってくれることで、私達の家(生活)を支える助けになっています。
ボリビアとペルーの仲間と共に、皆様の期待に応えられることを願っています。

寛大なご協力に感謝します。

ありがとうございます!

フスティーナより」


彼女の文章をそのまま載せましたが、私としてはこのコメントに気になる部分があります。

「ayuda」(助け)という言葉を使っているところです。

彼女達は長い間、スペインの援助を受けて運営されている公民館のようなところにいるため、「助けてもらう」ことが日常になっているのだと思います。そしてスペインの援助をもらっている人達にこのようなお礼を言っているのでしょう。

日本の人達は、彼女達が作ったものの、デザインと質、手づくりのあたたかみに惹かれて買っている。フスティーナたちは、自分たちの手仕事が評価され、対価を受け取る。
こんな関係を私は目指しています。

この関係になれば、使う方も作る方も同じ立場にいると思うのに、彼女にはまだ、援助をしてもらっているという意識がある。

私は、日々、「援助って何だろう。」と考えています。

フスティーナとも一緒に話しています。

「援助されることに慣れちゃいけないよね。」

「本当は何でも自分たちでできるのに、援助されちゃうと、そのぬるま湯につかって、自分たちでできたこともできなくなっちゃう。」

「期限をつけて、最初だけ、後押しをしてくれるようなNGOの関わりはいいと思うけど、そこから自分たちだけでできるようにならないといけないよね。その気持ちをみんなが失ってしまったら危険だよね。」

「援助する方も、それが自分たちの仕事だから、援助する相手がいなくなると、自分たちの仕事がなくなる。そうするといつまでも、援助が必要な状態にさせておきたくなる。という人もいる。」
というようなことを私は、こうサブリミナル効果を期待して言っているんです。

ボリビアのこのNGOの場合は、
NGOが仕事を取ってくる、NGOがお金のやりとりをしてくれる。NGOが場所を貸してくれる。
これって、普通の企業が、お金をかけて、人を雇って、賃貸料を払っている部分を、NGOが関わることで、人件費、場所代ともに、援助金でまかなわれていることになります。

つまり、一般の援助なしでやっている会社からすれば、かなり優遇されているわけです。

私はこれはおかしいと思っています。
(他のNGOや他国のNGOがどのような活動をしているのかは、わかりませんので、これはこの私が知っているNGOに限って言っています。)

彼女自体も、まとめ役として見ていると、一人一人のメンバーに、責任感がなく、すべてNGO頼りになってしまっていて、この状況はよくないと認識しています。
だから、NGOからいつか独立しなければ、とは思っている。

そこの思いが私達は共通しているので、

私は、いつか自分たちの小さな会社を作る。という条件で、お付き合いしています。

今、私との仕事は、NGOから集まる場所は借りていますが、それ以外は、NGOの許可を取り、フスティーナが代表として直接私と契約して、打ち合わせをして、仕事をしています。

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(ミトンになる手袋の細部の改良を打ち合わせ中のフスティーナ(左)とプルデンシア(右))

でも、そのNGOからの独立はなかなか進みません。
やっぱり、誰かが、自分たちの代わりにやってくれるという状況は、楽なんだと思います。また自分たちで何でもやるということに、将来の不安も感じるのかもしれません。

私から彼女達に注文する量だけでは、まだまだ小さな会社であっても一年中仕事があるような量ではないので、彼女達は他でも仕事を見つけなければいけません。
それでも、今の私との関係の中で、いつか全てNGOから独立した時のための準備ができればと思っています。

スペインの援助はいつまであるのでしょう。
誰もわかりません。なんだか、日本である公民館のような建物の運営がスペインからの援助なんです。これって、ボリビア政府も援助だのみということ。

この公民館のような建物では、内科、小児科、歯科の先生が巡回し、働く女性のための保育園のような機能があり、学童保育のような機能があり、女性が技術をつけて仕事ができるようにというプログラムが組まれ、保健衛生などの授業がある。という形で機能しています。

10年以上?もっと前からずっとある。だからこれからもあるのだろうと、皆は思っているんです。
そのNGOのスタッフはボリビア人です。そのボリビア人からすれば、自国に援助する人がいなければ、スペインからの援助額が減り、自分たちの仕事がなくなるわけで、独立をすすめる。という部分で矛盾が出てきます。 
(この点、外国のNGOがボリビアでやる場合は、5年なりの期限を切って、その後は撤退するので、最終的に自分たちがいなくなった後のことまで考えてプログラムを組んでいるように思います。)

場所を提供し、技術向上のプログラムは組む、NGO経由で仕事もとってくる(ただし、これは仕事を取れば取るほど彼女達のお給料が上がるわけではないので、さらに仕事を!という欲にも限界があり、仕事に対する責任もまたありません。)、材料も買ってきてあげるし、お金の管理もしてあげる。でも、起業するためのプログラムはないんです。
理由を聞くと、つくり手の人達はまだまだそんな状況にはない。とのこと。

そうでしょうか?同じように小学校の低学年までしか学校に行っていなくても、同じ編物で、家族で小さくても、独立して仕事をしている人達はいっぱいいます。
それって、環境の違いだと思うんです。何もなければ自分たちでやるしかない。

どうも、NGOのボリビア人のトップとはいくら話をしても、平行線。彼女からすれば、NGOが抱えている女性たちはいつまでたっても援助してあげなければいけない人達のように思えてなりません。

援助があることで、いろいろなことが難しく複雑になっている。

こんなことを、よくフスティーナに話しているんです。

私の思いが、いつか伝わって、
フスティーナが「助けてくれてありがとう」と言わなくなる日がくるといいなと思います。

(まとまらない文章ですみません。)

2008年05月17日

エルアルトのニコラス工房

新作のマフラーとショールはラパスのエルアルトに工房を構えるニコラスさんにお願いしています。

prepalacion.jpg

縦糸を配色を考えてセットしていきます。

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何色も入るショールを作ったのですが、その配色を現場で相談しながら作っていきました。

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毛糸を織り機にセットするところでは、仲良く男の人二人が向き合って、板そうこうに糸を通していきます。これは2面で色に違いが出るタイプを作っているところで、4枚の板そうこうを使います。

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この部屋では6台ぐらいのこのような織り機で、各自ラジカセから流れる軽快な音楽に合わせて男性たちが織っています。

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縦糸は縒りをかけてフリンジにして始末します。
写真が工房の主ニコラスさん。年は29歳か30歳。13歳のころから、織りで仕事をしていたそうで、今では自宅兼工房を構えています。
同じ年ぐらいなのに、家も工房も持っていて子どもも二人いて、すごいしっかりしていて、頭が下がります。

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アイロン職人さんです。

この工房で作っている商品はこちら
http://puente1uno.seesaa.net/article/96965466.html

2008年04月25日

ラパスのつくり手フスティーナとプルデンシア

20080421prudenciaS.jpg

月曜日から毎日ラパス周辺のつくり手たちと打合せをしています。
渡したデザイン指示書をもとに、サンプルを作ってもらっていて、それをチェックしています。

写真の右はプルデンシアさん。4歳ぐらい?のお子さんと一緒に打合せにやってきます。彼女はミトンになる手袋の2008バージョンを担当。

頼りのまとめ役フスティーナ(真ん中)と詳細を話しあっているところです。

プルデンシアさんは、ラパスの斜面の上の方にあるパサンケリ地区に住んでいます。2年ぐらい前に、家に遊びに行きました。
段差があるワンルームで、寝室と台所があります。
斜面のため、太陽があたる道路側はドアになっていて、ドアの上の横長のガラスブロックからしか光が入らないので、ちょっと寒そうでした。
プルデンシアさんははずかしがりやです。
とにかくまじめで、お仕事がしやすいです。

一方、レッグウォーマーを担当していた女性(左)は、よくしゃべるけど、ちゃんと正面から向き合わない感じで、結局、指定の幅を出すのにちゃんと手順を踏まずにやろうとして、2度ほど失敗して、仕事を投げ出してしまいました。
(こちらの真剣さがまだ伝わってないのかなあ。)

フスティーナは、このようなつくり手の人達にとても苦労しています。結局レッグウォーマーは他のまじめな人にフスティーナが頼んだそうです。

手編みなので、編み棒の太さと自分の編む力で目の大きさが決まるので、いきなりサイズ通りに編むことは難しいんです。

まずはゲージというテストを作らないといけないのですが、その彼女は、いきなりゴム編みの部分からはじめて、ゴム編みは横に縮むので、本当のサイズがわからないのですが、そのゴム編み終わって、普通の表編みの部分になってやっとサイズが違うことが分り、またやり直し。となってしまうのです。

私はこういうつくり手を何人も見ているので、先ず最初に、何度もやり直しにならないですむ方法を説明して、やってみてほしいというのですが、中々みなさん頑固で聞かないんですね。

これが、私の会社で、つくり手さんが社員なら、やり方を指定できるのかな?

今は、フスティーナがまとめるセントロ・エル・カルメンの女性グループに注文を出している状態なので、フスティーナとどうしたら、みんなちゃんと仕事をしてくれるのか?ということを日々話しています。

ちなみに
フスティーナは私がラパスにいる間は、基本的に午前中、一緒に仕事をしています。
日本とボリビアで離れていてもコミュニケーションが取れるように、パソコンの使い方も少しずつ伝えてきました。

こちらは電話代が高いのと、あまり電波がよくないので、昨夜は同じラパスにいながら、チャットで写真を送ってもらって打合せをすることができました。うれしいなー!

さて、
金曜日から水曜日まではペルーのプーノのつくり手、アルテアイマラのところに行ってきます!

2007年06月14日

HugoさんとMiddlesさんの手紙交換

irotsuke1hp.jpg
昨日、ミニチュア陶器の生産者Hugoさん夫婦と再会。
ボリビア、ラパスでのオフィス兼住まいに来てもらって、日本風家庭料理で招待した。Hugoさんの家からは1時間ぐらい。
(Hugoさんはエルアルトというところに住んでいて、そこからすり鉢の中に降りてくる感じです)

初めての日本風料理、おかわりもしてくれたから気に入ってくれたかな?

今回、PUENTEの卸し先である鎌倉、長谷のMiddlesさん
http://www.middles.jp/
というお店の方からHugoさんへの手紙を預かっていたので、
私がつたないスペイン語で訳したものを渡した。

070612_2hp.jpg
「MiddlesでHugoさんの商品がとても人気があること。
一つ一つにHugoさんの心がこもっているんだと感じながらお客さんにお届けしていること。
これからもよろしくお願いします。」
という内容のお手紙。

インターネットでMiddlesさんのホームページも一緒に見た。
世界地図があって、各国の先住民族が作った商品が紹介されている。ボリビアにも旗が立っていてそこをクリックするとHugoさんの商品が出てくる!みんなではしゃいでホームページを見た。
オーナーの二人の写真もあったので、顔も見せられて親近感が沸いたようだった。

ついでにGoogle Earthでお店の場所もチェック。
鎌倉の海の近くで、この大きな大仏に観光客が一杯来て、その道にあるMiddlesさんのお店にも沢山の人が来るんだよって。

YURIの家はどこ?
田舎はないの?

Hugoさんの家はどこ?しばらくGoogle Earthで遊んでしまった。
ちゃんとHugoさんの家もはっきりと見えた。
これには二人もびっくり。Google Earth使わせてもらったけど、怖くもある。

HugoさんたちからもMiddlesさんへお手紙を書いてもらって、さっそくMiddlesさんに送った。

他のHugoさんの商品を置いてもらっているお店のHPも見てもらった。私が卸しているお店の、コンセプト等も紹介。

PUENTEのカタログも見てもらった。

今回「家族でおねんね」という商品で、ちょっと困ったことがあった。
夫婦+子どもが一つのお布団に寝ているやつなんだけど、
中には子どもがいないやつがあって、夫婦が目をあけて向き合って寝ているやつは、なんだかイメージが違う。

しかも、カタログには子ども付きの写真で、子どもなしのものを送ることはできないので、残念ながら子どもなしのもの30%ぐらいは在庫として残ってしまっている。

Hugoさんとしてはあえて、いろいろなバージョンを作ったとのことなんだけど、正直にこのことを伝えたら、ちゃんと分ってくれた。

Hugoさん、陶器がどう届いたのか心配だったみたい。
正直に舟は半分ぐらいの帆やオールが折れてしまったこと、コチャバンビーナたちの帽子が割れやすいことを報告。

でも、梱包次第なので、次からは大丈夫なんですが。

次の注文は?と聞かれたけれど、まだまだ在庫があるので、まずは頑張って売って、次回の注文をしたいと伝える。
卸し先からの追加注文は来ているけれど、やっぱり陶器で取扱が大変なので、全ての卸し先が扱ってくれるわけではないので、まだ次の注文まで時間がかかりそう。
でも、状況を理解してくれ、プレッシャーを与えられなかったのでほっとした。

生産者全般に言えることなんだけど、慣れていない新しいものに挑戦するのは、こちらの想像以上に難しいみたい。
新しいことに慣れるための努力、時間的投資に臆病というか。

ただ、次の注文で全く同じものを売るのでは、お客様が飽きてしまうかもしれないので、新しいモノも作っていきたいことも伝えた。今回、応用編でできるかな?と思ってお願いしたデザインはことごとくできないと言われてしまっていた。
でも、次に向けては少し意欲が出てくれたみたい。

Hugoさんの作品たち
ASH-3cdc.jpg
http://www.puente1uno.com/hugo.html

Hugoさんに初の先住民大統領EVOになって何か変ったか聞いてみた。

識字率の向上のためのプログラムがあり、それにHugoさんの奥さんが通っているとのこと。
自分もアイマラ語の読み書き(しゃべりはOK)を政府のプログラムで勉強している。
昔のある時代には、自分たちの言語アイマラ語を禁止されていた時代もあった。今は自分たちに目が向けられているので、評価出来ると言っていた。

最近、またもや低地サンタクルスを中心に自治権に関して、もめていて、この間のニュースでは、サンタクルスの一部の人たちが「私たちは先住民の大統領を認めない」などと発言。
こんな発言があっても、同居人たちは驚きもしない。サンタクルスの人たちはヨーロッパの血を引いている人たちが多いからしょうがない。。といった感じらしい。

2007年02月21日

陶器の人形生産者に電話をした

Hugo_familyhp.jpg20日の日本の夜中、ボリビアは20日のお昼なので、陶器の人形を作ってもらっているHugo家に電話した。固定電話はないので携帯に。(固定電話はまとまったお金が必要なため、携帯を持つ人が増えてきた。日本と違って、毎月の固定料金はかからず、つねに150円ぐらいのプリペイドをためておけばいい)
携帯だと電波+携帯会社のシステムの状況でつながらないこともしばしば。今回は3度めでつながった。

彼らはラパスの郊外エルアルト地域に住んでいる。
O1hp.jpgこの地域は標高4000M近くなのに、まっ平らな高地なので、どんどん農村部から移り住んできた人たちが家を作って、日に日にエルアルトが拡大している。
Hugoファミリーもペルーとの国境近くの村が実家だ。

夫婦二人で陶器の仕事をしている。
親戚も陶器の仕事をしているとのこと。
陶器の人形をこつこつと作って、家を建て途中。というすごいまじめな印象を受ける。
この小さな陶器の人形の生産者は多くいることだろう。その中でも大変丁寧な仕事をしている。さらに実際に会っていろいろ話をしてみても大変誠実な印象を受けた。だから私は彼らとお付き合いを始めようと思ったのだった。
sagyochu1hp.jpg
10月末にサンプルを一緒に作って、1月末の納品をしてもらう話が2月末に伸びている。
オリジナルのうち2種類が難しいので作らないとのこと。
まあしょうがない。

今回の電話では、
納期の再度の確認の電話をしたのだった。
2月末までの分だけ受け取り、それ以降は受け取れないと伝えた。(これ以上は待てないから)

「もう仕上がりの段階にあるから大丈夫」
と言っていた。ほっとする。
「ならばセニョーラフジコに連絡して2月中で納品日を決めてね。」
「OK!」
「今私は日本の夜中に、日本から電話しているの」
「・・・・・・?電話ありがとう」
「写真現像して送るからね。」
「とにかく2月最後までの分だけ受け取るから。よろしく!」

セニョーラフジコとは、ボリビアに住んでいる日本人女性。私のことを一貫してサポートしてくれているスーパーウーマン。素敵な相方がいて、3人の子どもをしっかりと育て、日本語学校の先生+運営に関わっている。彼女がいるから今私は日本に戻ってこられるのだ。

今も、チャットでフジコ先生(私は日本語学校でもお世話になっているので先生と呼ぶ)と打ち合わせをしてくれた。
長年のボリビア生活の中からのアドバイスをしてくれて大変ありがたい。

また今日の夜にHugoたちに電話をして、梱包材、段ボール箱の用意と、再度の2月中の納品の念押しを。サブリミナル効果を狙って。

この生産者の紹介は、また日を改めて、素材や、手作りの土釜とかの話をしたいと思います。

さあ、来週の納品が楽しみです!!!!

2006年11月05日

生産者はすごい

mini_all.jpg

maritza5s.jpg

何がすごいかって?
感覚が、、、
いいかげんさが、、、
私のこと尊重してくれなさが、、

今週は日本のお盆のようなもの Todo Santo があった。
こちらは亡くなった人のお墓に行って、その家に行ったりして死者を弔い、パンを作って石灰で作って色を塗ったお面をかぶせて、お供えして、食べる。
今週はじめからお母さんたちはパン作りに忙しく、私の仕事はほったらかし。(しょうがないなこれは)
基本的には木曜日だけが祝日。働き者は金曜日からちゃんと働いている。
中には1週間休んでしまう人もいるけれど。。。

そんな週があけた月曜日の明け方にボリビアを出発しなければいけない私は、3週間ぐらい前から、まだ商品を納品しない各生産者に早く納品するようにと言ったけれど、、
今土曜日の午後なのに、5箇所から、まだ納品がない。やっぱり無謀だったな。私。

1.ペルーの生産者(携帯に連絡がつながらない。いつくるんだろう)
2.マクラメマフラーの生産者(El Alto)、金曜日に打ち合わせをして、土曜日か日曜日に会って納品するから相手が私に電話する。という話だった。でも電話かかってこない。
家に電話してみたら、息子が出て、日曜日の夜9時まで遠出しているという。???
どうすんの??日曜日の夜9時以降に納品してくれるわけ??
3.マクラメ手袋の生産者、70組中10組しかまだできていない。これは11月中旬が期限だけれど、できている分は持っていくことになっている。日曜日の朝8時にくるらしい。
4.ひつじの首かけとフワフワマフラーの生産者。土曜日5時過ぎに来るって。本当かな?
5.布タグ印刷屋。このおやじが一番たちが悪い。もう1ヵ月半ぐらい遅れている。
私が散々電話をして、「状況を教えて」と言うと、
「今どこどこだからあと30分後に電話する。」といって、
一生かかってこないので、私がかける。「心配しないで、ちゃんとやるから」以上2点が口癖。
とにかくまだ納品していないBolivia Woolのタグ200枚だけ急いで必要だからそれから先に印刷してくれというと、
「200枚じゃ少なすぎて仕事にならん!なんて言う。は?全部で4000枚のうちの200枚なんですけど。。
そんなやりとりをもう20回ぐらい繰り返している。
兄弟で仕事をしているので、兄に「弟の責任をとれー!」なんて怒ってみても効果なし。
「あいつの首しめてくれ」と私が兄に言われる始末だ。しめたいよ本当に!

今日の朝早急に必要な分だけとりあえず持ってきたけど、
遅すぎるよ。
今回の納品が終わったら、二度とこの人とは仕事しない!この人の脳をかっぽじって見てみたい!

心配なのはペルーの生産者だ。一旦できたけれど、
模様が2列たりなかったり、三角形の角が出せなかったりで、やり直しをしている。
明日来るつもりなんだろうか?
直しがあるから同じ色の毛糸も持ってこないといけないんだけど、持ってくるのかな?
こなかったらどうなるんだろうか?

代官山のお客さんが待っているのに。。。。
ああ、三角形は彼女たちには難しかったんだ。。
サンプルは完璧だったのに、それを複製するのはみんな違う生産者だから
指示が行き渡らなかったんだわ。できると思った私がいけなかった。。。

みんな、月曜日に私が帰ることは知っているから、その前に納品してお金を受け取らないといけないわけで、
たぶん駆け込みラッシュでみんな来ると信じたい。
(マクラメ手袋は11月後半までの納期)

いつも通り。私も1ヶ月前に帰るとか嘘つけばいいのに。
そもそも私に余裕がないのよね。反省。未だに生産者の約束を守れない具合を見越して先取りできない。

あ、今回唯一ちゃんと納期を守り、しかも初めて電話してから
私の家に来たのは、いいアクマくんのMaritzaおばば!

祝日の木曜日の朝7時に来ると言ってちゃんとぴったりに来た。
なぜ朝7時かというと、孫がチチカカ湖畔にある海軍!(海もうないのに)の施設で兵役中で、その子に会いに行くのだという。(祝日しか会いに行く日がないって)パンツとか下着を買ってもって行ってあげるんだって。

おばばは最近また大学の脇でサンドイッチを売り出したので、
私がそこに行って注文をしておいた、いいアクマくんミニブローチ。みごとにいろんなアクマくんができあがった。角が短すぎるのを指摘したら、生まれたばかりだ!と言う。ああそうかい。
その際にもまたも電話番号を聞かれたっけ。
何度なくしたら気がすむのか。と情けなく思っていると、

今回は、私の連絡先が書いてあるノートをバッグに縫い付けてあった。
頼むから一生はずさないで!

以上、出発を二日後に控えて、不安な私。
今日はこれから初めてのゴージャスバイキングディナーに行く。楽しみー!

ここ二日緑色の円盤みたいなお豆とひき肉しか食べていない。
それをふやかしすぎて、すごい量になってしまったので、味噌味、しょうゆ味、スープ、を全部お豆とひき肉だけで作った。今日もお豆、明日もお豆、あさってもお豆状態。でもおいしいもん!
でもバランスよくないもん。。。。

2006年08月31日

最強おばば

maritzas.jpg
ベルを鳴らさず、ドアをノックする音。
プーノの生産者?と思いきや
いいアクマくん生産者のMaritzaおばば。
私は遅刻しないのよ!なんて言って、
2週間前の土曜日はこなかったっけ。
大人気の「いいアクマくん。」Maritzaおばばと
その子ども2人(大学生ぐらい)ぐらいで作っている。

Mサイズを頼んだらLサイズを作ってきたので
しょうがなく2サイズ展開にした。
でLサイズを頼んだら
LサイズといってMサイズよりも小さいものを作ってくる。
でもその都度うるさいことは言わずに買い取っていた。

そして今度はさらに小さい
ブローチになるいいアクマくんミニを作ろう。
まずは一つサンプル見せて。という話だった。

にも関わらず、
おばば:「この間は、子どもたちに「裕梨の支払いが悪かった。」
と怒られた。だからその分を取り戻すために
もうミニを75個作ってきた。」という。

少女:「おいおい。Lサイズ料金欲しかったんだろうけど、
あれはどう見てもMサイズより小さいくせに何を言うか?
さらに200個の注文を勝手に260個作ってきて
ほとんど買い取ったんだからむしろプラスじゃないか。
不良品は買えないし。本当に都合がよい。
ちゃんと買っておいても
好き勝手なことを言うんだからまったく。
でなんでまた一つのサンプルが75個になってるの??」

このおばばとは漫才みたいになる。
おばば:「今はこんな帽子を編んでいる」
少女:「いや、私は帽子買わないからね。勝手に作っても買わないからね。」
おばば:「一つプレゼントするわよ!」
少女:「いやいや、帽子もういっぱいあるの。」

少女:「ところでブローチなんだからピンが必要でしょ?」
おばば:「わかったピンをくっつけて100個にして土曜日もって来る
(私が数量を決める前に相手が決めるこの強さ)(まあ100個は注文するつもりだけどね)」
少女:「でも今日みたいにいきなりこられても私がいなかったら、無駄足踏んで怒るのはそっちでしょ。
まず自分の家から(RIO SECO1時間ぐらい)電話してそれから来て。」
おばば:「前は足の治療中だったから怒りっぽかったけど、
もう治ったから怒らない。
もう踊れるし!(ステップを踏む。)でも、電話番号もうない」
少女:「もう何度無くしたら気がすむわけ」
おばば:「もう無くさないからこの紙切れに書いておくれよ。
(いいアクマくんミニが入った箱をビリっとやぶくおばば)」
少女:「この間は聖書もどきに書いたじゃん。その前はメモ帳。どこいったの?
こんな紙切れまたすぐ無くすよ。
いつも持ってる何かに書こうよ。あ。何この携帯。携帯持ってるの?
この番号教えてよ(彼女に直接連絡が取れない。彼女が良く会う人の電話番号しか私は知らない)」
おばば:「いやこれは姪のだ。番号も知らん。(本当に姪のかよ。じゃあ番号ぐらい知ってるだろう)
50Bs貸したから預かってる。」
結局、紙切れに書く。
おばば:「ちょっと。(私を)エレベーターに乗せなさい。」
少女:「はいはい。こちらでございます。お疲れ様です。さようならご主人様。。。」

どっちが客だかわからない。好きな時に売りに来るこんな身勝手なおばば。
彼女の才能か。品質とかの前に愛嬌のいい「アクマくん」を作るので
今のところ買っている。
この人も絶対自分に都合が悪くなれば私が悪いと怒るんだろうな。
でもそうなったら、ちゃんと向き合おう。どんなに違う考えを持っていても
話し合わないと、自分たちの考えを伝え合わないと何も始まらないと思う。

最初から、ボリビアの人たちは考え方が違うのでこの国に来ている側が全部あわせなきゃいけない。というのは違うと思っている。

このおばばとも、ちゃんと継続的に働ける関係(連絡が取れる。私の欲しいものをわかってもらって、勝手に作らない。)
にならなきゃいけないんだけど、道のりは遠いなあ。

2006年08月30日

フェアってなあに?

さあ、心機一転!と思ったら、、、、、
ある電話が。。。

昨日指人形を納品完了した生産管理責任者から。

まず話を戻すと、

6月中旬に1000体の指人形を納品する話が、指示書と違うものが出来上がってきてやり直しが入り、本来ならば、すぐにやり直しをして誠意を示すところが、それもなく2ヶ月納品が遅れ大半がそろった。伸びに伸びてまず第1弾をどうしても8月中旬に日本のお客様に届けなければいけないので、8月12日ごろにDHLで送らなければなくなった。これは実に3キロ弱のものを送るのに187ドルかかったのだ。

6月中旬に納品してくれれば、ゆうゆうと郵便局で送り、送料が安く済むはずが、生産者の都合で遅れているため、その差額分は生産者が払うことで話はついていた。

そして今回全ての納品が終わったので、全て計算して残りいくら払うか。を出したところで、生産管理責任者がお金を今もらうよりも代表者と話し合うという。

この代表者とはいつもは漫才のように仲良くしているが、彼女の都合が悪くなるととたんにブチキレル傾向がある。そしてすぐにまた態度をころって変えて、「YURI許してー。私たちを見捨てないで!!全くちゃんと仕事しなくってごめんねー!次はもう大丈夫だから!!私たちの意識を変えてくれていつもありがとう!」と言ってくる。とても口が上手い。この繰り返しでこれまで付き合ってきてしまった。

今回もぶちきれたみたいだ。
彼女が電話してこず、部下にあたる生産管理責任者が電話でおびえながら言った。

「まず、もう2000個の注文(いろいろな動物の指人形で、これはカタログをお持ちのお客様への分ではないので、どんなに遅れても気長に待っていた。これも色も実物で全て指定してあり、目を丸くするという指示も全て書いてあるにも関わらず、全くもって違うものを作り上げていてやり直しが必要。)はもう納品できない。(→これはもうペルーの生産者に保険をかけて注文済みのため、むしろ助かる。生産者の表示としてもきっちりこれからはペルーとできるから。)

それから、すでに納品済みの私が支払わなければいけないお金ももういらない。」と代表者が言っているという。

「いや、払います。納品だけされても困る。支払う。」

「でもいらない。と代表者は言っているから私にはどうしようもできない。」

これまた、代表者は怒っているのだった。
怒りたいのはこっちなのに。逆切れで客の心をいちぢるしく傷つけるという、なんとも耐え難い仕打ち。

まず、6月中旬に納品が無事終わり、7月中旬に私がお客さんに納品完了したら、それから1ヶ月以内には私に代金が支払われ、そのお金で秋冬物の仕入れの一部をしようと思っていたのに、それがもうできない時点ですでわたしはすごい被害を被っている。仕入計画がめちゃめちゃだ。

でもそんなことはおかまいなし。どんなに遅れても、どんな品質のものを納品しても収入が減れば怒ってしまうのだ。

今は、怒りくるっているだろうから、後で代表者に電話して話し合いたいが、、
なんだかとってもがっかりだ。全部私のせいみたい。

「援助ではなく仕事をお互いにしている。」というスタンスが大事だと私は思っている。でも実際にはフェアトレードと言う側には援助をしてもらいたい。という気持ちがあるように思う。

明らかに注文と違う点を指摘すると、「自分たちも生産者にちゃんと指示をしているのにわかってくれない。」という。その辛さはわかる。でも「どう生産者にわかってくれるか?」そこを解決しないといけないんじゃないの?
すぐ「私たちは機械じゃない。」という言い訳を使う。
「目を丸くして。」という指示を無視して「直線の目にすること。」
サンタクロースのひげが「あごひげだけ」と「こめかみまである」のは違う。
このような違いをわかってくれようとしない生産者。

機械だからできることではなく、気持ちの問題。私が目を丸くしようと思ってつけたらちゃんとできる。
実際にペルーの生産者と指人形のサンプルを作る時、私が目の丸く仕方を伝えたら、その通りに作ってくれる。

指示書はスペイン語が読めなくてもわかるように色で、デザインでわかるように工夫した。

その生産者団体がどうそれをさらに生産者自体がわかるように伝えるか?そこの努力が足りないのと、生産者自体が客のことを尊重すること。これが彼女たちに欠けている。

この団体はフェアトレード団体としてヨーロッパからがんがん注文が入ってくるが、私に納品するような「品質、デザインが注文とちがう」商品を生産しまくって今まできた。

でもヨーロッパは私ほど厳しくないのでどうにかやってきている。私は「ヨーロッパの客には「援助してあげている」気持ちがあるのではないか?」と疑ってしまう。

もちろんクレームはいっぱいあるらしい。でも去っていく客がいても他からどんどん客が来るのでどうにかなっている。

私は今まで3年近くこの団体と付き合って、「『フェアトレードだから。』といって甘えがある。このまま大きくなっていっても、いつか絶対につまずくはずだ。」と思ってきた。

その点を少しずつ注文を出して、意見をしてきた。幹部の人たちはわかってきてくれている感じもした。でもこのぶちきれ具合。結局、何が変わったのだろうか?いつになっても指人形の指示は何一つ通らないしなあ。

今回の指人形でも大変痛い目にあっているので、もう注文をしないことで意思を示し、ただその団体の個人個人とはかなり仲が良くなってきたので、友人として、意見をいいながら友好関係だけは続けていこうと思っていた。

ヨーロッパから注文があるならば、それでよいのかもしれない。わざわざうるさい日本人と付き合わなければいいのかもしれない。売る先がない生産者は他にいっぱいいる。
私は誠意で応えてくれる人たちと仕事で付き合いたい。
最近つくづく思う。「誠意」これがないと仕事はできない。

この団体の代表者、こういう向こうから客を切り捨てるような発言を、一時的な感情でしてしまうのだ。なんとも悲しい。普段私に仲良く接してくる分余計悲しい。

電話をしてきた生産管理責任者はいたって、丁重に話してくれた。彼女は状況をわかっていて、私の気持ちも少しは理解してくれているようだ。だけどそんな人はとても少なくって、すぐに切れる人たちも結構多く、そういう人は相手を余裕で傷つける。

今は、代表者と話をすることが大事。
私が傷ついていることもちゃんと話したい。

私が今ここで、折れて相手の仕事によるミスで私が全て被害をかぶり、相手は何も痛手なしというのは、フェアではない。ということを相手が理解してもらえるように伝えたい。
相手が怒らず理解してもらえるような話し方を考えなければ。

中にはボリビアにもペルーにも相手の注文に応えようという誠意を持っている人たちはいる。だからこそ、これは文化の違いだとは片付けたくない。

それにしてもお互いが気持ちよく仕事ができる関係を築くのはとても難しいなあ。

2006年07月05日

しょうがないなあ。

私が付き合っているボリビアの生産者の中で一番、大きな組織のセニョール・デ・マヨ。
IFATという国際フェアトレード連盟にも所属している。
が、内実運営面では首をかしげることばかり。
本当に適当だ。この間の冬商品では、本当に痛い目にあった。

先週、ディレクターの息子(33歳ぐらい?)と話す。
注文分を聞くと、今週火曜日にはもう全部できているから、
火曜日に来いと言われる。日曜日までは選挙で忙しいから。。と。。。

今日、火曜日の午前中、電話でディレクターと話すと、まだ少ししかできてないよ。
って。「え?もう全部出来ていると聞いたよ?」
「ディレクターの息子は、コンピューターの前に座ってばかりで、倉庫にも入らないから状況なんてわかってないんだ。」という。

おーい。息子君。君もか。適当じゃないの。

この息子は、なんだか仕事が出来そうな気がしていた。
少し前までEUが援助していたフェアトレードコーヒーを推進するNGOで働いていた。
彼とは、今後のセニョール・デ・マヨは、運営、経営面が弱いし、今のディレクターに仕事が行き過ぎていて、後任が育っていない。
また商品の品質に対する向上心があまりないのでは?
そこを改善したらどうか。と話していた。彼自身もそこに自分の仕事の意義を感じているようだった。

彼がこれからセニョール・デ・マヨの抜本的な改革をしてくれるならば、
これからもっと付き合えるなあ。と思っているのに。。。

一時的に相手を気分よくさせるための、悪気のないウソが日常茶飯事のこの国。
でも、それは一時的についたため、巧妙なウソではないので、すぐにバレてしまう。
そうすると、信じたぶん裏切られた気がしてしまうのでは?
ここで、「まあ悪気はなかったし。」と寛容にならなければこの国では生きていけない。
でも、この悪気のないウソの塗り固めで、このラパスの人たちはお互いを信用できなくなっている気がするのだけど。。。。

ところで、今度の土曜日、このセニョール・デ・マヨの創立何周年パーティーというか、
毎年誕生日パーティーのようなものがある。
そしてそこには、EVO大統領も来るらしい。
そういえば、去年だかも一瞬来ていた。
このディレクターとは同士みたいな感じだ。
大統領は、以前に日本に行ったことがあり、
日本料理はダメだったけど、日本女性は素敵だった。と言っていた。(なんと返答していいか困った)今度はもっと違う話ができるかな??

このディレクターのおばちゃんは、MASの議員でもある。
最近は政治活動の方に忙しく、セニョール・デ・マヨのお仕事がおざなりなんではないかと心配になるぐらい。

でも、睡眠時間を削って仕事しているEVOが大統領になった今も来るのだろうか?

パーティーの時は、生産者といっぱい会えるチャンスでもある。
普段、「YURIは、日本人できびしくって、やり直しばかりさせる。」と評判悪いだろうから、ここで汚名挽回、face to faceで仲良くしてこよう!

これから午後、この生産者のところに1時間ぐらいかけて行きます。今出来ているのだけでもチェックしないと!!
おー。怖い。あの指人形です。。。。。

2006年05月16日

大丈夫かな?緊張感の違い

今、私とボリビアの生産者にとっては、かなり緊張感のある注文を受けている。でもこの緊張感が共有できていないかもしれない。

1000個の指人形。8日に注文を受け、サンプルを今週中に仕上げ、5月末までにサンプルをまず日本に送らないといけない。
ボリビアの時差13時間に合わせて、夜中3時にサンプルの写真を待つ。
写真が送られてきた!
にわとりが足りないー!!作った人が持ってこない。。とは言っているが。もしかして作ってないのかなあ。そんなミスは言えないだろうから、嘘ついてしまうだろうし、。。これはちょっとピンチ!

この生産者団体のまとめ役の人たち。
私がいっぱい一度に指示を出しても、必ず抜け落ちてしまう。
かといって、1メールに一つの指示をするというのも混乱のもと?
どうしたらミスなく仕事をしてもらえるのか悩み中。

例えば、サンプルの納期ではなく1000個の商品の納期を聞いているのに、、、中々返事がなく催促した挙句、、
各種何個作るのか教えてくれ!そうしたら納期が出る。
なんてことを聞いてこられると、、最初のメールでとっくに
数、出てるでしょー!!!とつっこみたくなる。
この人たち、私のメールちゃんと読んでないの???

でもまあ、送られてきた写真を見て、
去年よりも大きな「びっくり勝手に変更」が少なく少しほっとする。
赤と指示したところが黄色だったりするけれど、、、、

送られてきた写真を加工して改良点を指示し、メールでも文章で同じことを指示して送る。
papa nuel1.jpgobeja1.jpg
今メール送ったから、それを印刷してみんなで読んでください!
と、電話をする。国際電話は高いから3回電話したけど、どれも2分以内の会話ぐらい。

生産者はこの私の指示を待ち、即座に同日か次の日までにその改善点を直してまた私に写真で送らないといけない。

今、時々ボリビアで手伝いをしているボリビア人の友人に
その生産者団体まで行ってもらい、私の指示をちゃんと伝えてもらう様に派遣する。(って行ってくれてるの?心配になって彼女の携帯に電話すると、、生産者団体からの打ち合わせの時間の連絡がなかったので、問い合わせたところ、明日再度集まる話になっているという。。それじゃあダメなのよー。今から行っておくれー。)
私が、かなり遠隔操作をしないとやっぱり不安。

今後私が日本ベースになり、私とこのフェアトレード生産者団体だけで、(ボリビアではIFATに加入して一番大きなはずなのに)仕事をしていける日は、、
まだ遠い。。。

どうだろうか?この切迫感が彼らには伝わっているのだろうか、、、タイムリミットはすぐそこなので、、お願いやってくれー。

どこでもドア。下さい。

とりあえず、寝よう。。。でも1時間おきぐらいにメールのチェックはしたいところだ。でも起きれないだろうな。。

2006年01月30日

編物は大変だ−

tejedoras_en_living.jpg
写真は、私の家に集まる生産者の女性達。


今まで、手編みものは、ポンチョ以外は帽子、手袋などの衣料雑貨に限ってきた。というのも、サイズ展開できる余裕がなかった。。

セーター、カーディガン等は、サイズもさることながら、
デザイン性の高いものが作れるかどうか不安。

でも、日本のお店からは、セーター、カーディガン等の要望も少なくない。

そこで、この春夏に向けて、少しコットンのタンクトップ、
カーディガンを考えている。
そして今度の冬にはセーターもやれたら、、と思っている。

現在は、サンプルを編んでもらい、私が洗って、着て、洗って、着てを繰り返している。

時間がないので、パジャマがわりにもしている。
でも、この時期、雨季なので一度洗うと乾くまで時間がかかる。
洗ったら、延びたり、縮んだり。コットンは困りものだ!

売り物になるレベルに達しなければ、商品にはできないわけで、、
どうなるのだろう。

今、生産者とサイズ通りのものを作ることの難しさを痛感している。

彼女達は、編むのは得意。でも
「ゲージをちゃんと作って、そこから目の数を出す。」
ということをしていなかった。
カーブしているところは、どのように目の数を減らすか増やすか。。といのは全部 勘でやっていたのだった。
そして、数センチサイズが狂っても気にしないのだった。

スペイン語を読み書きできない人もいれば、
編み図を読めない人もいる。
掛け算、割り算の観念をあまり分かっていない人もいて。。

そしてデザイン性の追及ということもあまり頭にない。
また、編み終わったら終わりで、どれだけ持つのか、
形崩れはしないのか、、そうしないためにはどうするべきか、、
といったところまで考えていないようだった。

なので、ド素人の私が一人一人のゲージから目数を割り出して、、
わからないことはインターネット等で調べたり、質問して。。。
今、私が生産の過程にどっぷり関わってしまっている。

今後、編み図を理解してもらい、自分のゲージに合わせ、サイズ通りに作ってくれるようになるのはいつのことなのだろうか、、

1月は、毎週月曜日と木曜日の午後、生産者の住むパサンケリ地区の地域センターにサンプル用の糸を大きなリュックにかついで、出かける。
ラパスの高低さの大きい地形をバスでゆっくり登っていくと、崩れ落ちそうな急な崖の途中にその地区はある。

その他の日は、生産者が私の家まで降りてきて、打ち合わせをする。

技術的な面以外にも、大きな問題がある。
この生産者グループは、全然組織化されていないこと。
今まで、NGOのコーディネーターが注文を持ってきて、彼女がまとめていた。
生産者の中での代表はあまり責任を持たなくていいようだった。
今は会計もNGOがやっている。

私は、いつまでもNGOに頼っていても、助成金がなくなったら終わりだから、そろそろもっと自立するべきではないか?と話を持ちかけている。

しかし、この生産者グループ、2地区から集まっているけれど、
この2地区同士の仲が悪い。すぐに人の足をひっぱりたがるし、
編物が上手な人が、まだ技術が伴わない人に親切に教えてあげる
ということはあまりしないようだ。古株の人たちが実権を握り、
新しい人たちに厳しく、新しい人たちも我慢ができずに去っていく。

アイマラ人の人は、ねたみが激しいというけれど、、やっぱりそうかもしれない。
それぞれの話を聞けば聞くほど、共に働く同士というよりも、
注文はなるべく少人数で独り占めしたい。だから他の人のことは
悪く言っておこう。というような感じで、困ってしまう!!

誰か、カリスマ性のある人で、編物技術も高い人がリーダーになれたらいいだろうけれど、どうも、皆を上手くまとめられて、ねたみも買わない人というのは、見当たらない。。。

どーなるのだろう・・・・頭が痛い。

2005年12月18日

手編みセーターを編んでくれる人たち

今、特注の手編みセーターと、春夏向け手編みニット(タンクトップ系)をPASANQUERIという地域の女性グループと作っている。

今まで、セーターなどの衣料には手を出さないで来た。
ポンチョならば、1つのサイズで対応できるけれど、セーターなどはサイズも一つというわけにはいかないし、デザイン、形などが難しいから。あと、商品の単価も高いものになるから、売れるかどうかもわからないし、リスクが高い。

今日も、打ち合わせにPASANQUERIの二人の女性の家まで登ってきた。

この地区はラパスの都市を見下ろす形のかなり急斜面のがけに家が転げ落ちそうに建てられている地域。都市には何らかの理由で移り住んできたけれど、経済的には厳しい生活をしている人たちの地域というイメージ。

坂を登ろうものなら、息苦しい。(もう3800Mぐらいだから)

今日訪ねた一人の女性の家は、ちょっと事情が厳しいみたい。

昨日、私の家に10cmX10cmに編んだゲージを娘さんと届に来た。(事前に電話をくれたり、時間前に来たり。と、これまでかなり期待以上の対応をしてくれている。普通は、約束しても来ない。電話はお金がもったいないからかけない。)

なぜ、娘さん(11歳)と来たのか。
それは彼女は上手くしゃべれないから。
7年前にずっと暴力をふるわれていた夫に、頭を殴られ、右半身に軽く麻痺が残ってしまった。それから上手くしゃべれなくなってしまった。その夫は他の女を作って出て行き、8人の子どもをそれ以来育ててきた。本当はあと4人の子どもがいるはずなのに、亡くなっている。そのうち二人はおなかにいる時にその夫に暴力をふるわれ流産したそうだ。あー。ボリビアではよく夫の暴力に被害を受けて、泣き寝入りしている女性の話を聞いてしまう。切ない。

彼女が働かないとだめだから、右手、右足に不自由は残るけど、それでも道路工事とか力仕事もしているみたい。

彼女は女性グループの中でもとっても控えめな存在。でも笑顔が素敵な存在。毒気がない。上手く自己表現をできない彼女に対し
まわりの女性はちょっときつく指示したりする。

今日は、その彼女のゲージを私が洗ってどれだけ縮むかを判断した上で、サイズや編目の数の確認に、今度は私が彼女の家を訪ねたのだった。

以前に彼女の家を教えてもらった時、門には住所が書いてなく、その横の土ブロック壁にかなり小さく番地が書いてあった。

でも、今日行ったら、鉄の門に大きくチョークで番地が書いてあった。「私が来た時に見つけやすいように。」との配慮。その気持ちがうれしかった。
私は道の名前や番号よりイメージで覚えている方なので、思わず一度通りすぎてしまったけれど、、、

家には彼女と娘3人がいた。
「机のあるところで話したいんだけど。」
「えっと、、机はないの。」
「あ、じゃあ椅子の上で書くよ。」
「椅子もないの。」
「・・・(しまった。)じゃあ、ここの階段のところで書こう。」
ということで、天気も良かったし門から家にまで下る階段のところでしばらく打ち合わせをしていた。

その内、彼女は家の中に呼んでくれた。彼女の家は日干し煉瓦にトタン屋根で、私がコチャバンバ県の山奥で見た家とそんなに変わりはない外見。
4M×5Mぐらいのワンルームの中に、一角が台所、ベッドが2台。(この2台に現在彼女と子ども6人が寝ている模様。)テレビはない。
なんとなく机のようなものが用意されていた。椅子はやっぱりなくて、ベッドに座った。

こちらの人は、お客が来るとコカコーラの2Lペットボトルを買ってきて飲ませてくれる。
コカコーラが皆大好きだし、お客さんに飲ませるにはふさわしいちょっといい飲み物。という位置付けがある気がする。
ちなみに私は炭酸系が嫌いで(特にコーラとビール)、気が進まずいつも飲んでいる。

この家でも、やっぱり買ってきてくれてしまった。。。
その気持ちはありがたいけれど、次からはいいよ。と言っておいた。そのコーラは高いから。

時に他の編み手の人は、向上心がないように思うけど、彼女からは、やる気をちゃんと感じる。
だけど彼女は、編物の編み図が読めない。
だからこれから一緒に編み図の読み方の勉強をしていきたい。

今まで感覚で編んでいたらしいけれど、決められたサイズ通り、デザイン通りのものを作ってもらえるようになったら、約束を守ってくれるなら(納期、連絡等)お互いに持続的な仕事が出来ると思う。

クリスマスがもう近い。クリスマス前に子ども達のためにも、彼女は現金収入が欲しいと思う。(今は他に仕事がないから。)早く編んでくれたら、すぐに支払えるな。