2007年01月22日

やっぱり、、出来上がってこないアヨレオ族のガラバタバッグ

昨夜はボリビアの生産者とかの打ち合わせを3本入れてしまい、他のたまっていたこともやっていたら、気がつけば明け方。年間計画を自己流で立てたり。

ボリビア、サンタクルスの奥に住むアヨレオ族のガラバタバッグの進捗状況は?

小さい方10X10cmがすぐ出来て、すぐ支払いがあるので生産者が好むはずだったのもあり、今年は去年よりかは安定して仕入れができると思っていたら、、、
そのコーディネーター(都市の人)は、
「やっぱり好きなサイズを作ってしまう彼等は、YURIの希望サイズを全然作ってないの。いつも通り。もう疲れちゃったー。(4ヶ月前に注文した100個)10個ぐらいならかき集められるかも、、、、」
なんて言っている。

あれー。これじゃあ、草木染だけにしてね。青色は使わないでね。なんて指示も全く通っていないんだろうなあ。

本当に都市の生活と離れた場所で暮らしている人との仕事上の付き合いは難しい。
ここの生産者には会いにいったことがあるため、このような展開もなんとなく予想がついたんだけど、このバッグが好きなお客様もいるので、届けられそうにないのは残念です。

少し入ってきてもまあそれを売るんだけれども、少量を扱うのは手間がとてもかかって、結局利益が少なくなっちゃう。

どうなることやら。

2006年01月04日

ナチュラルシードアクセサリー生産者と

12月27日から、サンタクルスからバスで10時間ほど離れた村、San Antonio de Lomeiroにいた。
そこの生産者とのナチュラルシードアクセサリーのデザインをして、あと買い付けの打ち合わせに。
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当初29日にはサンタクルスに帰ってくるはずが、予想外に時間がかかったのと、
価格のつけ方、計算、契約書の作成等、本来ならば彼らがやるべき事なども、私も参加しなければいけない流れになり、
「まだ残れ、、」「年もここで越しなよ。」という勧めが現実になったのだった。

この村は、中心部の人口が1313人ほどの、のどかな村。
ドイツの援助で建物がここ20年の間にほぼ全面的に同じデザインの家で建替えられたため、
村の景観が統一されていて美しい。カトリックの宣教が色濃く残っている。

日中は、役所だけ電気があり、夜は10時まで各家にも電気が来る。
私はここでは、0時には寝て、朝6時には起きるという規則正しい生活をしていた。

人々は、ゆったりとした生活を送っているように見える。
私が時に感じる、何かに追われているような感覚はあまりなさそうに見える。
アンデス高地と違って、家畜はえさに困らないので、年中、大きな土地の柵の中に放っておけばいいし、食物もよく育つ。(乾季の水不足はあるけど)

村の光景としては、緑あふれる自然の中にきれいな家が並び、
人々が家の前に座って、家族や近所の人とお話をしている。
ハンモックでお昼寝をしている。ロバや馬が広場にいたり。。という感じ。

家の中も、結構モノが揃っていて、テレビのある家がけっこうあった。子ども達は高校までこの村にいられる。
その後、大学に行く子供もいるようで、年末はサンタクルスから若者たちが帰ってきていた。
日本の田舎に似た感覚だ。

ティポイという民族衣装は、おばあさんの代までは
日常着として着ているが、それより若い世代は、特別な時にしか着ないよう。
でも、現在彼らの文化を失わないようにと、学校の制服はティポイだそうだ。
ここの現地語も、今の若い子ども達は聞き取れるが話すことは難しいとのこと。
学校で現地語を教えるカリキュラムにはなっている。

たった数日の滞在で、少しのことしか見えないけれど、
ラパスの都心に住む、経済的に貧しい人々の生活よりも、
環境的に豊かに見えた。

問題は、乾季に水不足が深刻なこと。都市までの道が未舗装で、雨季の交通が難しいこと。
(実際私が帰るときは道がわるく、いたるところでストップして道を整備して通過して、
バスは故障して、、いつもより4時間以上多くかかった)
などであると、市長が教えてくれた。

この土地の生産者のアクセサリーは、価格が大変高く、面食らってしまう。
それを正直に話し、今回は、デザインを小ぶりにすることでコスト削減をした。
もともとの彼らのデザインは、日本人があまり着ないような、
胸の大きく開いた服に合うサイズなので、日本人用に小ぶりにした。

そもそもどうやって価格を付けたのか?そこから話をはじめたところ、
かなり適当だった。

わずかではあっても、サンタクルスで出稼ぎをすることもあったり、
この村からサンタクルスに出て行く家族もいる中で、
ボリビアの賃金の相場は知っていそうなのに、
アクセサリーの制作の手間を検討し直すと、
都市の賃金の2倍〜3倍になった。

そこで、私は悩んでしまう。ラパスの都市周辺に暮らす、編物の生産者の
賃金の低さと、この村のアクセサリーの価格の大きな差に。。。
編物生産者は編み手がいっぱいいるために、価格が下がってきているのだろうけど、
彼らの賃金が低すぎるのだろうか?
でも、このアクセサリーの価格が高すぎることは、作業時間などを
横で見ていても感じる。

彼らも、私の言っていることに納得したみたいで、
もう一度、一つ一つの材料のコスト(森から種を取って、洗って、磨いて、穴を開けるまで)、アクセサリーを作る作業時間を割り出し、それに、都市の賃金よりも自分達で村に住んでいる分を考えて、安い賃金を設定して掛けて、材料費+手間賃を出した。
価格の内訳は、
材料費+手間賃で40%、グループ積立金15%、利益15%、
年金15%、健康保険10%(まだ掛けていないけど、、)消耗する機材費5%。

このグループ、まだ経理担当がいないなかで、ちゃんと年金、健康保険代が蓄えられるのだろうか、疑問。

結局、サイズをかなり小さくしたことで、価格を下げられたものが多かった。
中には、もとの価格より高くなるものもあった。

日本では、これらのアクセサリー。どう受け取られるのかな?
売れるといいなー。

写真は私のデザインでお気に入りものもの。
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そうそう、ディーゼルエンジンで発電していた夜に、電圧安定器を通さずに充電していたりしたら、ついにパソコンが動かなくなってしまった。
でもこの村にいたら、中にあるデータの喪失を考えれば泣きたいぐらいだろうに、不思議とあきらめの境地、どうにかなるかな?の境地にいたのは不思議だった。

サンタクルスに帰ってきて、バッテリーが湿気でやられていたのか??一度バッテリーをはずしたら起動してくれて、ほっとした。
バックアップはこまめにとろう!

2005年12月27日

アヨレオ語族のガラバタバッグ

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今日は、待ちに待ったアヨレオ語族のバッグを作る生産者の人たちを訪ねることが出来た。

アヨレオ語族センターというような団体に属している人たちのうち、サンタクルス市内のはずれのバロック、、(と言えるかもしれない、、)のような家を建てて、暮らしている人たちがいる。今日はそこに、コーディーネーターの人と行った。

アヨレオ語族の人たちは、サンタクルス周辺やパラグアイに住んでいる人たち。狩猟採集が主らしく、定住して生活をしていない人たちも未だ多い。切る衣装はもう普通の洋服だけれど、今も彼ら独自の民芸技術が残っている。

サンタクルス市内の人のアヨレオの人たちの印象はあんまりよくないみたい。
物乞いをする。働かない。娼婦。ドラッグをやっている。。。
でも、コーディーネーターの人はそんな印象ばかりではない彼らを知っているので、アヨレオの人たちと頑張っているようだった。

作っている様子をまじかに見たのは初めて。これは今まで見た事もないぐらい、根気のいる作業だと思った。
原材料のガラバタ(パイナップル科の葉)を採ってきて、そいで、繊維にして、それをよって糸にして。それから草木染め。(化学染料の方が楽だから、その流れもあるみたい)。それから編み出すけれど、、その編み出すのはその糸を針で編んでいく。。
なんて時間のかかる代物なんだろう!!
2005年の夏、お店を持っているお客さんに、価格が高いですね。なんて言われてしまった。そんな中で、今度の夏にと思っているこのセンターの人たちの商品は、もっと価格が高い。儲けを出すにはどうしたものかー。なんて思っていたけれど、、
こんなに手間ひまかかったものが、日本で安く売られすぎなのか??とも思ってしまいたくなるほどだ。

編む、縒るの動作を映像で撮らせてもらったから、、どれだけの時間がかかるか割り出せるかも。。
(聞いても、時間で出てこなくって、何日かかった。とかだけれど、じゃあ一日に何時間やったのか?というのは応えてもらえないからね。)

それにしても、今日訪ねた人々の、ゆっくりとした時の過ごし方に、自分って一人で忙しくしすぎてて、何やってんだ??なんて思ってしまった。

家の外で、イスを出してみんなでおしゃべりしている。ちなみに彼らの言語は、中国語に聞こえる。
子ども達はクリスマスにプレゼントされたおもちゃ(近所の教会や学校などがプレゼントする)で遊びまわっていて、、アヒルが子連れいっぱいで、、、

今週の木曜、金曜にはサンタクルスから3時間ほど離れたアヨレオの村に1泊2日で行く予定。
どんな生活なんだろう。。

写真は、コーディーネーターの人にもらった写真です。